最後の記事です。
読者の方、ありがとう。
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日本の神(道)は、前の戦争によって汚されてしまったのです。
悪魔に、日本的にいえば新八股の大蛇(ヤマタノオロチ)に。
ボケーとしていたらこうなるという見本ですね。
ただ、飛鳥の時代に仏教が入ってきたとき、神を脇に追いやる形になり、精神的に、神に接し考える機会をなくしてしまったという、巡り合せの不幸はありますね。長い時を経て、黒舟に驚いて突如神を思い出すという拙速が、結果的には神を汚してしまった。
千数百年の間仏教空間に注いだエネルギーの何分の一でも、神を思考することにかけていたらという気はします。後の祭りだけど。。。
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もう一度、「神のようなもの」について、思い出した部分を追加して書いておきます。
聖書をほぼ読み終えて、キリストのことを
ぼんやり考えていた・・時、それはあらわれた。
A 「あなたは何者?」
「魂(たましい)。」
A 「たましい?」
「神魂(神のたましい)。」
A 「たましいを磨くには?」
「納棺。」
A 「生きて磨くには?」
「釈尊のように。」
A 「私は死んだらどうなるの?」
「透明人間になる。」
A 「死とは何?」
「不自由。そして消滅。」
A 「悪魔とは?」
「思い分ける人。荒凶。底知れぬ。」
A 「あんたは、その悪魔ではないのか?」
「いや、計り知れない。」
こうして書き出し、客観的に読み返してみると、今、現実と思っている世界は、実はニセモノで、この世界の奥に、別の真実の世界があるのだと示唆されている気がします。
「ニセモノの世界」とは、生物としての生存(生命)維持を目的とした、いわば生物欲(=エゴイズム)的感覚で捉えている世界。「真実の世界」とは、生命変換可能な精神(=心)自由な世界。
そろそろ次の人類へジャンプする時が、近づいてきているようです。
地球生物としての人としては、次が最後の進化過程でせう。


